Tanbarin's Blog

もう少しマシにやろう

会いたくて会いたくて

西野カナ氏がどんな人かまったく知らないのだが、彼女の曲「会いたくて会いたくて」を iPhone アプリ 「Tanbarin」 に入れてみた。

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まぁ、こんなもんです。


シュレーディンガーの猫

量子力学の読み物の中で、量子力学の不思議さを説明するために「シュレーディンガーの猫」という仮想事例が引き合いに出ることが未だに多い。

※シュレーディンガーの猫
  説明は省略するが、箱の中の猫が生きているか死んでいるか、フタをあけないとわからない、という話で、
  ねぇ、不思議でしょう?というふうに使う。

サイコロを振って、サイコロが止まる前にフタを被せるのと何が違うのだろうか?と思う。


もうそろそろ、「フタを開けないとわからない」ことを、当たり前のこと、当然のこと、普通のこととしていいのではないだろうか?

例えば、
・あなたの知り合いが出かける。
・あなたは家で待っている。
・その状態のとき、知り合いが生きているかどうか、確実には不明である。
・帰ってくるなどして確認できたとき、生きている、と確定する。

※ただし実際この場合、あなたは知り合いが「生きている」として
  行動して何ら問題ない。なぜならほとんどの場合、生きているから。


もう一つ例をあげる
「手に持ったボールから手を離した場合、ボールが下に落ちる」
これは、日常生活においては、100 % 確定しているとしてよい。
上記の例とは異なる。

なので、誰かが在り得ないこと(それをやったら確実に失敗する場合とか)を言ったとき、
「あなたの言っていることは、手を離したボールが上に行くと言っているようなものだ」
という喩えは割りといいかも。使いすぎると辟易されると思うが。




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